

松山市出身の元海軍大佐であり、反戦思想を発信し続けた水野広徳(1875–1945)。
その没後81年の追悼法要が10月4日、松山市柳井町にある蓮福寺(れんぷくじ)で行われました。


当日は親族や関係者など約10名が参列。戦後80年という節目の年でもあることから、世界平和への想いを胸に、静かに焼香が行われました。雨の合間を縫って、水野氏の墓前でも手を合わせる姿が見られました。


■なぜ軍人が「反戦」を訴えたのか
水野広徳は、日露戦争で従軍した軍人です。
帰国後に記した戦記『此一戦』はベストセラーとなり、一躍注目を浴びました。
しかし第一次世界大戦後、視察先のヨーロッパで目にしたものは戦火によって荒れ果てた街の姿…。
その衝撃と深い悲しみが、水野を「非戦・軍縮」の強い訴えへと導きます。
「戦争は市民の暮らしを奪うもの」
彼は生涯を通じて、時に軍部の反発に遭いながらも、戦争の愚かさを訴え続けました。

■今に生きる水野広徳のメッセージ
追悼法要に参列した親族の重松昌彦さんは、
「戦争の被害を受けるのは一般市民。平和が何より大事だということを忘れてはいけない」
と語られました。

その後「坂の上の雲ミュージアム」で、南海放送ラジオの『坂の上のラジオ』が公開生放送されました。
「戦後80年 ― 水野広徳から何を学ぶのか」をテーマに、
反戦を訴え続けた水野広徳の生涯と、その思想が生まれた背景に迫りました。

番組では、広島大学大学院の小池聖一教授が
「戦争へと突き進んでいた時代の中で水野が発した言葉を、現代の価値観で都合よく解釈してはならない」と解説し、当時の社会状況を踏まえながら水野を再評価する重要性を語りました。
水野のメッセージが、今なお私たちへの問いかけとして生きていることを考える時間となりました。

■未来へつなぐ平和への祈り
戦争の危機が語られる昨今。
水野広徳が示した「平和への確固たる信念」は、今も私たちに問い続けています。
今年の追悼法要は、
“歴史を知り、未来へと活かすために”
その想いをもう一度深く考える時間となりました。
今後も関連イベントを通じて、
水野広徳の志を広く伝えていく予定です。
どうぞご注目ください。